長岡市には河井継之助という歴史上の有名な人物がいました。
今から200年ほど前の江戸時代末期の人物で、長岡藩政の主導者です。
簡潔に言えば長岡藩の偉い人。
江戸時代に海外からガトリング砲を輸入して戊辰戦争で実際に使用した人物です。
マンガやアニメ、映画のるろうに剣心でもとある人物がブッ放したり、また再びブッ放していました。
最近だと河井継之助の生涯を描いた司馬遼太郎の峠を原作とした"峠 最後のサムライ"という映画が公開されています。
私は今まで「つぐのすけ」と呼んでいたのですが、映画を観て「つぎのすけ」と言っていたので、それ以降は後者で呼んでいます。
でも実際にはどちらが正しいか良く分かってないみたいです。
ということで今回訪れたのは長岡駅近くの『河井継之助記念館』です。
河井継之助記念館入り口。
駐車場は建物裏に数台分あります。
入場料は大人200円です。
こちらは継之助生家跡に建てられました。
宿長は生まれも育ちも旧長岡市内なので地元の小学校などで習った覚えはありますが、正直歴史は苦手だったので良くは覚えていません。
復習だと思って見てみます。
入ってすぐに置いてあるガトリング砲。
当時は2門を1万両で購入したらしいので、1万両を現代の価格で算出すると10億円以上!
ヤベーイ!
こちらは長岡藩主牧野氏の旗。
河井継之助は藩政改革に取り組み、長岡藩の様々な改革を実施しました。
兵も指揮し、戊辰戦争ではお世辞にも大きいとは言えない長岡藩で新政府軍の攻撃を3ヶ月以上耐え抜きました。これは継之助の手腕によるものだとも言われています。
行いに対して色々と賛否両論あるようで、開戦の原因を作っただとか、長岡を燃やしただとか言われ咎められることもあるようです。
この現代で世代が変わって良くも悪くも言う人は減ってきたとは思いますが、全てが上手く回らなかったのも人間らしい気がします。
当時の状況は中々想像し難いですね。
長崎や四国まで旅に出歩いたのは個人的にどこか親近感が湧きます。
時には昔の話を(1) - NEMARU(ねまる)のにいがた発見旅
河井継之助記念館は1階と2階があり、継之助に纏るものや歴史の流れなどが展示されていました。
写真を撮れる場所がかなり限られています。
沢山のサインが横並びにズラリ。
裏の駐車場には長岡城の説明と文献が。
今では面影は殆ど無いですが、VRや何かで是非再現してもらいたいものです。
今回は長岡の歴史に触れてみました。
歴史が好きな方、映画を見て興味が湧いた方は是非訪れてみてください。
【公式サイト:河井継之助記念館】