NEMARU(ねまる)のにいがた発見旅

新潟県長岡市の宿『NEMARU ほんとぐらし』の宿長が新潟観光を主観でほんのり提案するブログです。

時には昔の話を(2)

以前、閑話として私(宿長)が2011年に自転車で日本を旅した話をしました。

時には昔の話を(1) - NEMARU(ねまる)のにいがた発見旅

今回は自転車旅を終えてから、ゲストハウスを始めるキッカケと長岡に戻るキッカケに出逢った2012年から2014年までの過去話。

 

自転車旅がゲストハウスを始めるキッカケになったかというと、全然全くそんなことは無く。

むしろ旅には満足したので普通に働きたいと思うようになりました。

旅で資金も無くなったので。

そこで私は以前から興味を持っていたWEBの世界に入るため、新潟市で求職者支援制度を利用しWEBの勉強をし始めました。

 

WEBは楽しかった。

時代の先端に触れているようで、丁度世の中がWEB2.0でHTML5に移行する時期でしたから。

ここは専門的な話になるので省きますが、半年ほど訓練校で勉強して即再就職しました。

 

好きなHTMLを毎日専門的に触れるので楽しかったですね。

嫌いなプログラムもWEBに絡められたので面白かったです。

オフィスも綺麗で音楽が流れていたりコーヒー飲み放題で最高でした。

新卒で入ってスーツ姿で毎日深夜まで働いていた古い会社とは全然違いました。

代わりに新しい会社は土曜出社やサビ残が多かったですが…。

 

そんな環境の良い会社で働いていて、いつの日か外を眺めることが多くなりました。

一年前は平日休日関係なく自転車で日本を周っていましたから。

一度は旅が終わって満足しましたがまた何処か行きたくなる訳です。

それでも続く日常にも満足していましたから、そのまま普通に働いていたのです、が。

いきなり会社解散の話がありました。

働いていた会社の業績的に業務を続けるのは難しく、人員を移動したり減らすことに。

キャンプ道具一式買ったばかりでお金ないのに…。

会社都合で雇用保険はすぐ出るとのことでキッパリ辞めることにしました。

とは言え収入は減るので、今居るアパートは出て知り合いがいるシェアハウスに住むことにしました。

 

入居したのは新潟市東区のギークハウス新潟。

エンジニアやギークが集まるシェアハウスです。

私はここで雇用保険を貰いながら次の仕事が見つかるまで自由なニート生活を始めました。

 

住環境は中々厳しかったですが、庭で買ったばかりのテントを貼って生活したり、手に入れた車で自転車旅で行けない所に行ったり、ネットの話題で盛り上がったり毎日楽しかったですね。

 

ふと京都に行き、久々のゲストハウスに泊まりながら個人的に貰った仕事をしたりもしました。

 

その頃はノマドワーカーなんてのも出始めていた頃で、それもいいなーなんて思っていたり。

 

そんな生活を続けているあるとき、ゲストハウス開業へのキッカケが現れます。

 

自転車旅で行けなかった青森の竜飛崎に行ってみたかったので車で向かいます。

途中、青森の海沿いにイカ焼き屋が建ち並ぶエリアがあります。

休憩がてらそこに寄り、イカ焼きを買ってなんとなくお店のおばちゃんと話をしました。

「今仕事を探してるんですけど、中々見つからないんですよね〜」なんて。

するとおばちゃんが

『アンタ、そんなことじゃダメよ。自分の好きなことを見つけて自分で仕事作らなきゃ』

 

WEBも好きでしたが本当に続けてやりたいことかと言われると…。

しばらく考えました。

自身を振り返り、本当にやりたいこと、楽しかったことの記憶を辿ったら、自転車旅中の沖縄や京都でのゲストハウス滞在の風景が思い浮かんできました。

『ゲストハウス…』

お客側としての経験はあったのですが、宿側としての経験は勿論ありません。

そこで私はゲストハウス巡りを始めます。

まずは車で近場の日光、長野、仙台など主要観光地。

 

当時ゲストハウスが数多くあったのは西日本。

青春18きっぷを使いゲストハウスを巡る旅にでました。

運が良ければゲストハウスのスタッフに、そして新潟に住み続ける理由も無かったので移住先も決めれたらなと。

 

電車を使って三重の石垣屋、京都の月光荘、岡山の有鄰庵、広島のあなごのねどこなど有名ゲストハウスを転々としながら西の方へ。

 

三重県の関宿にある石垣屋は文化財にもなっている古民家宿。

宿やるなら古民家がいいなと思っていたのですが、オーナーさんに聞いたら補修や維持費などかなりお金がかかるとのこと。

色々と勉強になりました。

 

次に京都市内の月光荘。

私はここの雰囲気が好きで、京都らしい奥の長い古民家の宿にゲストさんや地域の方で集まって鍋パーティやタコパなど毎日開催され、とても楽しく、しかもオシャレで最高な宿でした。

…自転車旅のときは。

再び訪ねたら1階が居酒屋に改装されており、誰が旅のゲストさんか分かりません。

みんなバラバラ。

交流も難しくなっており、食事も全て居酒屋メニューに変わっていて、とても残念でした。

働くならここが良いと思っていたのですが。

一年ちょっとで宿は大きく変わるもんです。

NEMARUもそうですが。

 

そして岡山の倉敷 美観地区内にある有鄰庵。

こちらではチェックインが18時。

泊まるゲストさんが全員一度に集まり自己紹介をし、一瞬で仲良くなるような宿でした。

来たとは驚いたのですが、スグに他の方と打ち解けて一緒に夕ご飯に行ったり銭湯に行ったり、とても素晴らしい体験でした。

若い方のスタッフも多く、交流をひとつのテーマとして考えていた私にとっては理想的な形。

しかも2店舗目を作っているらしく、宿づくりから体験できるチャンスでした。

こちらをゲストハウスに滞在し学ぶ第一候補にしました。

 

次は広島 尾道のあなごのねどこ。

この尾道では、移住先を探していた私が新潟に戻る一番大きなキッカケとなる出来事が起こります。

 

あなごのねどこも古民家。

西日本は質の良い古民家ばかりや!

新潟のような雪国だと雪で潰れてしまったり湿気で駄目になったりするのでスグに建て替えられてしまいます。

 

こちらでも外国の方と交流したり、スタッフ用のシェアハウスになる家屋の掃除を手伝わせていただいたり、なんか地元テレビに出たり素晴らしい経験をしました。

 

滞在中、尾道が生まれ故郷である大林宣彦監督おかえりなさいイベントが開催されていました。

映画館では大林監督と一緒に無料で監督作品の数々の映画を観れるイベント開催中です。

 

当時私は監督のことを全く知らなかったのですが、せっかく無料なのでゲストさんと一緒に映画を観に行きました。

そしてその映画がなんと『この空の花 長岡花火物語』という故郷の長岡花火を題材にした映画だったのです。

 

映画が始まってすぐ、長岡の信濃川の風景が映ります。

私はその風景を観た瞬間、何故か超ボロ泣き。

暗い中で静かに大号泣していました。

まだ序盤でほぼ風景しか映ってないのですが。

間違いなく館内で私一人だけが謎に泣いていたでしょう。

多分、心の中に残っていた風景が自然にそうさせたのです。

高校を卒業してから10年程離れていた長岡には未練なんて何もないと思っていたのに。

こんな遠い広島の地でどこより長岡を知るなんて。

この日、私は新潟に戻る決心をしました。

 

でもこの後沖縄まで旅を楽しんで年を越します。

メッチャ満喫してましたね。

 

あなごのねどこのオーナーさんに働きたいと話をしていたのですが、そちらをキャンセルし、岡山の有鄰庵で働くことにしました。

何故かというと有鄰庵では2号店を作り始めていたこと、ウェブ専用のスタッフが居なかったことの2点です。

こんな貴重なタイミングはもう無いと思い即決しました。

了承を有鄰庵のオーナーさんに得たので、一旦新潟に戻りシェアハウスを出て岡山のゲストハウスで働きます。

 

つづく(またいつか)